Review 笑える映像
イレイザーヘッドを中心に…
シュールで過剰なイメージはストーリーを超え、その非日常性は観るものを空想世界に誘うのではなく、まさにこの現実へ目覚めさせてくれる・・・
ERASERHEAD (1976)
上映時間 90分(完全版100分) 製作国 アメリカ 初公開年月 1981年9月 監督 デヴィッド・リンチ 出演 ジョン・ナンス(ジャック・ナンス)
シャーロット・スチュワート
アレン・ジョセフ
ジーン・ベイツ
ローレル・ニア
ダーウィン・ジョストン
STORY
「何か」のレバーをひっぱる惑星の男(ジャック・フィクス)の映像からこの物語は始まる。消しゴム付き鉛筆のような髪型をした主人公ヘンリー(ジャック・ナンス)は、女友だちメアリー(シャーロット・スチュワート)から妊娠したことを告げられる。やむなく結婚を決意するヘンリーだが、生まれてきたのは実に奇怪な赤ん坊だった。狭いアパートで、赤ん坊の悲鳴にも似た泣き声が響く。耐えかねたメアリーは実家に戻り、ひとり残されたヘンリーは赤ん坊の世話をすることになるが…
デビッド・リンチの映像を、私は最初に「凄い」と驚き、二度目に「美しい」と感じ、三度目には「笑える」と思うのだ。リンチといえば「ツインピークス」のイメージも強いが、最初の白黒(というより銀黒?)長編映画「イレイザーヘッド」を小さな劇場で観たときの衝撃は忘れられない。ストーリーはいたってシンプルだが(筋を追うのはナンセンスかもしれない)、シュールで過剰なイメージはストーリーを超え、その非日常性は観るものを空想世界に誘うのではなく、まさにこの現実へ目覚めさせてくれる。
私が気に入っているイメージのひとつに「ラジエーターの女(ローレル・ニア)」がある。ヘンリーが赤ん坊をもてあましているときに、ふと覗いたラジエーターの中に小さなステージが見え、両頬にこぶを持つ女が、ノスタルジックな音楽に包まれて、小さな内臓のような、胎児のようなモノをブチュッブチュッと踏み潰しながら、ぎこちないステップを踏んでいる。その無垢なほほえみには、有機物いっさいの否定をおしつけるかのような作為が感じられる。
女が消えると、道端の枯れ木がどくどく血を流し、ここからはめまぐるしいイメージの洪水。ヘンリーの首は転がり落ち、その胴体に奇形児の首が重なる。
路上に転がった彼の首を拾った少年はそれを鉛筆工場に売り、工場の男はそれを原料にイレイザーヘッド(消しゴム付き)鉛筆を作る。工場の男が手で払った消しカスは白い粒子となって再びヘンリーの形に凝固する。
白い光の中を歓喜にあふれた先ほどのラジエーターの女が駆けてきてヘンリーを抱きとめる。「至福」は白い画面へと膨らみ、めまぐるしいイメージの映像はここで途絶えた。(終わるのではない、途絶えたのだ…!)
20年前、最初に観た直後は頭の中が白い画面でいっぱいだった。次に意味を考えた。ファンや評論家の間でもあれやこれやと解釈がなされていたが、でも次第にそんなことは考える必要がないと思えてきた。意味をつけることによって映像の魅力が半減するような気さえしてきた。
プロフィールから推測すると、あの奇怪な赤ん坊は、21才という若さで父親になってしまったリンチ自らの不安を視覚化したような印象も受けるが、その不安をあえて愉しむために撮られているようにも思える。だから、こちらもストレートに映像を愉しむだけでいいような気がする。
観客に対して「凄いだろう」オーラが見え見えの一部の前衛映画よりずっとカッコいいし、何も考えずとも愉しめて、深読みしても愉しめる稀少な作品だと思う。
(シュルレアリスム映画の元祖ブニュエルとダリの「アンダルシアの犬」も実はそういう作品だったのかもしれない。「ピアノと腐ったロバを引っ張る男の図」などは理屈抜きに愉しいものだ)
幼い頃から画家になりたかったリンチは、表現主義に魅せられキャンバスの代わりにフィルムを使って、「イレイザーヘッド」以前に「アルファベット」と「グランド・マザー」を製作している。
その頃彼が住んでいたアパートはまさに「イレイザーヘッド」のシーンさながらで、隣には耳が落ちていそうな草むら(「ブルーベルベット」)もあった。彼が撮る映像はそのまま瞼に焼き付いたワンシーンであったのだろう。
「イレイザーヘッド」は全体を通してインダストリアル・ノイズが効果をあげていて、リンチの工場フェチぶりもうかがえる。
「エレファント・マン」は依頼制作ということもあってか、あまりリンチらしく思えなかったが、映像に関しては彼の色がよく出ていた。19世紀末ロンドンの見世物小屋の悲哀にみちた美しさやエレファント・マンの心象風景がモノクロで描かれ、とても幻想的だった。
日本では前宣伝があまりにもお涙頂戴的でヒューマニズムばかり打ち出していてシラけてしまったところもある。(アンソニー・ホプキンスとアン・バンクロフトの熱演がアダになったのか)しかしアヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭のグランプリを受賞したことを思うと、海外では、その古典的怪奇趣味や異形への愛が評価されていたようで嬉しい。(それにしてもエレファント・マンを演じたジョン・ハートは「1984」とか「エイリアン」とか、なぜか痛そうな役がよく似合う)
展開点ともいわれる「DUNE(砂の惑星)」の撮影でメキシコにロケした彼は「メキシコの狂気にあたった」と言ったそうだ。当初この作品の監督には、アレハンドロ・ホドロフスキーが予定されていた。ホドロフスキーならもっと流れるような幻想リアリズム色の濃い作品に仕上がったかもしれない。しかしルイス・ブニュエルやウィリアム・バロウズたちも「メキシコで表現の幅が広がった」と断言していることを考えれば、リンチがこの作品を撮ったことには大きな意味があるのだろう。
「DUNE(砂の惑星)」はファイド(スティング)に期待して観たのだが、今でも印象深く残っているキャラクターといえばハルコネン男爵(ケネス・マクミラン)だ。彼が全身をおおう腫物を潰すシーンはまさに笑える映像であり、その笑いは次第に快感へと変わってゆくのだ。
炎のイメージが強烈な「ワイルド・アット・ハート」では、思いきりヘンな歯並びの男(ウィレム・デフォーはこの歯並びのほうがいい)や吹き飛ばされた手首を犬がくわえて行ってしまうシーンなどはもう笑うしかなかった。ヘビ皮ジャケットのセイラー(ニコラス・ケイジ)がクソまじめに「ラブ・ミー・テンダー」を歌う(プレスリーの振り付きで)ハッピー・エンドもつい笑ってしまったけれど、エンド・ロールでは「なんて凄いラブ・ストーリーなんだ!」と、いつもなら「愛」などという言葉が恥ずかしい私もストレートに感動してしまった。
「ツインピークス」については、「小人と踊る赤い部屋」や「美しい死体」など印象的な映像も多いが、やはりキャラクターの個性のほうが勝っていたと思う。カイル・マクラクランもこの頃が一番美しかった。(ちなみに私が一番好きなキャラクターはFBI検死官アルバート(ミゲル・フェラー)である)
当時は、ツインピークス・ツアーもあったし、パロディもあったし、日本の缶コーヒー会社ではシリーズCMも作られたりして、これはもう「事件」であった。
私自身も真夜中ドーナツを買いに走ったり、チベット密教の本を読んだり、マッキントッシュのパソコンに憧れたりしたことのほうが印象に残っている。もちろんカーテンレールに固執する女やログ・レディたちが小気味の良い笑いを提供してくれたことはいうまでもない。
(1990年脱稿)
1997年の「ロスト・ハイウェイ」も、ストーリーを追わずに不条理な悪夢的世界を堪能すればよいのかもしれない。映像はあいかわらずリンチ独特の気色悪さが心地よくてのめりこめたが、惜しむらくはリンチ独特のユーモアがあまり感じられなかったこと。しいて笑えるといえばテーブルのふちに頭が突き刺さった殺人現場だろうか。
それからフレッド(ビル・プルマン)が不気味な謎の男に耳打ちされるシーンは、「ツイン・ピークス」の赤い部屋の小人とクーパー捜査官の愉快なパロディにも思えた。こういう部分にリンチの遊び心があらわれているのかもしれない。
(1998年追加)